私の同級生 その1

2001/08/07
 私が小学生の頃、たまに学校を休む男の子がいた。
 その子が休むと他の友達と一緒に当時、休んだ子の分の給食のパンだけをプリントと一緒に届けたりしていた。その子のお母さんは、「みきおちゃん。お友達が来たわよ」と、私たちが来たときそう呼んだりしていた。私たちの時代は、男の子にちゃんづけで言う親は殆んどいなかったため、なんか違っていたように感じてた。
 私の家は父が早くに亡くなっていたので、とても貧乏だった。同じ校区の友達なんかも、半分くらいが農業であまり子供に構う親はおらず、結構ほったらかしだったように思う。
 だが、私の母は月に一度はレストランに連れてってくれて、デパートなんかにもたまに連れてってくれてた。他の友達が「うちの親なんか連れてってくれるのは、ドライブインくらいだよ」と、羨ましがってたが、何でも、親の言うとおりにしかならなかったから、今思っても、二度と子供に戻りたいとは思わなかった。
 早く、社会人になって、自由になりたかった。勉強も嫌いだったので、資格が取れる職業系の高校に行き、なんとか思う職業に就けた。
 忙しい親だったから、おねだりとかしたいとき、「おかあさん。ねえ、おかあさんってば」ってなかなか言えずにそんな言葉を言うと「おかあさん、おかあさんってうるさい!」って、厳しい一言。もう、いいや。どうせダメだって言うに決まってる。って、頼む前から、あきらめてしまう性格になった。根性がなくなったのである。
 だから、私は健太郎が、同じようなことを言っても、ぜったいに耳を傾けるようにした。でも、私の性格と健太郎の性格は全然ちがうなって感じる。
 私の母は一日立ちっぱなしの仕事をして、夕方農作業をずっとしていた。とても、働き者で元気な母であった。だから、ぐれることも無く、31歳で、父を亡くしてから、再婚もせず働き通した母は感心だったなって思うなあ。
 で、話はみきおくんのこと。当時、あっ小学1年生のとき、流行っていた仮面ライダースナック。みきおくんはいっぱい買って、中のカードだけ抜き取って、その袋のまま捨てていた。子供ながらに思った、あーもったいない。なんなら中身を私にくれればよかったのに。食い意地がはってた私は真剣に思った。さすがに、捨ててあるのには手をださなかったが。みきおくんのお母さんはおこずかいを沢山くれてたらしい。
 中学生になると、クラスも変わったのでその子のことは記憶にないですが、みきおくんのお母さんは多分うちの母より、十歳くらい上だったんじゃないかな。痩せてたけど派手な感じで、今思うと、年がいってからの子だったんじゃないかと思った。高校には行かなかったような気がする。
 もうひとり、おこずかいを沢山もらってる同級生の男の子がいた。その子は、10代で死んでしまった。バイクの二人乗りで転倒して。あまり、すごい悪い同級生の話は知らないが、1つ上の先輩はシンナーのやりすぎ?とかで首吊り自殺したらしいし、別の先輩は中学生のとき、卒業式の予行練習のとき、体育の担当の先生をなぐって、卒業式の当日には、警察も立ち会って行われたこととか。
 精神的に、未熟なのが中学生だと思う。体は大人に近づくのに。私も、その頃、悪いとわかっているのに、イライラして親に八つ当たりとか口答えとかいっぱいしていたから。高校生になってから、反省してしまった。どこでどう道が変わるかわからない。子育てはむずかしいよ。
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